熊本の中心地に位置する歴史ある眼科専門クリニックです。設備も充実し、日帰り眼科手術を行っています。
<行德眼科の歴史>
眼科医としては行德直英(享保16年逝去)をもって嚆矢となす。その後、眼科医の家系として拙軒(通称文卿、字は直温)、健男、勝人、勝明(元熊本県眼科医会会長)と継承されて現在に至る。
直温は、漢学者としても高名であり、漢詩を通じて、徳富蘇峰とも交流があり、その師にあたる。
健男は、拙軒の嗣子として誕生して、明治19年に熊本医学校を卒業して、上京し、須田哲三に師事し、帝国大学選科に入って、眼科を専修すること四年、熊本に戻り開業した。しかし、満足することなく、ドイツの伯林(ベルリン)大学に5月1日から12月15日までグレッフ教授の下に留学した。当時の眼科医としての行德健男の名声は高く、また当時の時勢の中、一開業医でとどまることを許されず、熊本に赴任された谷口校長、豊田教授とともに、私立熊本医学校の創設に向けて尽力をすることになった。後日、行德健男は、明治41年に初代県医師会長、大正5年に北里柴三郎会長
の下での日本医師会初代副会長、大正6年に熊本県選出衆議院議員として公的な活動に従事し、「トラコーマ予防法案」を提出し、第40回て帝国議会で可決された。
このように、熊本県と眼科医療のために生涯を捧げた。
「熊本大学眼科百年史 谷原秀信著」